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 非常に興味深い資料です。1965年7月9日作成のもののようですが、この時点では撮影は特撮部分も含めて1966年9月中旬で終わらせる予定だったんですね。引き続き年内はポストブロダクションに当てて、公開は1967年初頭と考えていたようです。ところが大幅にスケジュールがずれ込んでしまい、1967年になっても撮影は続き、カチンコによると1968年3月6日、つまり公開直前まで行われていました。

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※シーン欄の「SJA」が何を示すのかは不明。キューブリックは誰が観ても納得する説得力のある宇宙人を登場させるため、ギリギリまで粘っていたそうなので、そのシーンかもしれない。

 あと「LOCATION」の文字も興味深いです。この時点ではロケも考えられていたんでしょう。撮影開始は1965年11月からとなっていますが、実際は1965年の年の瀬からでした。既に約二ヶ月の遅れですが、これはキューブリックの「徹底したこだわり主義のせい」と言えるでしょう(笑。有名な「クラークがアリエス1B宇宙船のコクピット内装を、中華レストランに見えると口走ったばっかりに、キューブリックがスタッフにセットの作り直しを命じた」事件は1965年11月10日ですので、その影響もあるでしょう。

 キューブリックはスタジオ側のスケジュールに縛られず、「完成したら公開する」という絶対的権限を持っていた監督です。他の監督がキューブリックに憧れるのは、こういった点が羨ましいと思われているのも一因でしょう。しかしその権限は長い間の苦労と強い意志、そして絶え間ぬ努力と闘争によって獲得したのだという事実は忘れないでほしいですね。