邦題の『博士の異常な愛情』について、「Dr. Strangeloveのストレンジラブは人名なので『異常な愛情博士』もしくは『ストレンジラブ博士』と訳すべきで、誤訳では」という意見と「Dr. Strangeloveが人名なのは一目瞭然。それをあえて名前の持つ本来の意味の『博士の異常な愛情』と意訳したのだ」という意見とがあり、二分されている印象があります。この邦題を付けた当時の担当者の証言が出てこない限り決着はつきそうにありませんが、個人的には意訳だと思います。しかも妙訳だとも思います。

 当時日本ではTVはまだ完全に普及しきってなく、情報源としてはラジオが一般的でした。そんな中、言葉だけで『異常な愛情博士』や『ストレンジラブ博士』というタイトルの映画が公開されると聞いたら、一般の視聴者はどういう反応を示すでしょうか? ほぼ100%の人が「ポルノ」だと思うでしょう。早とちりした人が放送局や配給会社に抗議が殺到!なんて事態にもなりかねません。邦題担当者としては当然こういった事態は避けねばなりません。かといって大幅なタイトル改変はキューブリックが許さなかったでしょう。そのギリギリの妥協点がこの『博士の異常な愛情』という絶妙な邦題だと思います。

 当初のタイトルはこれよりも遥かに長く『ナーダック・ブレフェスク提供/ストレンジラブ博士、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか/マクロ・ギャラクシー・メテオ映画』でした。どういう意図でこんな長ったらしいタイトルを考えたのかはこちらで解説しています。

 実はそれよりも気になる事があって、続きの『私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』の「私」とは誰を指すのか?という点です。最初は文脈から単純にストレンジラブ博士だと思っていたのですが、でも博士は心配などしていませんでしたね。むしろ核戦争の危機を嬉々として迎えていたように見受けられます。では終始心配そうにしていたマフリー大統領でしょうか。確かに最初は心配していましたが、博士に核シェルターの入知恵されてからはあまり危機感は滲ませなくなりました。むしろ水爆を愛するようになっていたのかも知れませんが劇中でははっきりしません。

 そこで一番可能性があるのはキューブリック自身をさしているのではないか、と考えています。キューブリックは本気で核戦争を心配して、ニューヨークに核爆弾が落ちる前に一番核の被害に遭いそうにないオーストラリアに引っ越すことを本気で考えていたそうです。そんな自分自身(または同じように核戦争を心配している人たち)に向けて『私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』と皮肉っているように思います。だから接続詞が「or」で、さらに「:」で前後を区切っているのではないでしょうか。作中の人物の考えなら「and」にする筈ですからね。