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 ハイスクール時代からカメラに親しみ、その写真を写真報道誌『ルック』に採用されるほどの実力を持っていたキューブリックは、その後その『ルック』に入社、報道カメラマンとして全米各地や時には海外まで出かけ、やがてドキュメンタリー映画を手掛ける事になる。

 その「ドキュメンタリー作家」としての感性は、映画監督になってからも如何なく発揮され、作品内の何処にも、また誰にも自己投影せず、答えを描ききったり、詳しい説明も避け、明解な意図も、意志も提示しない…といったキューブリック独特の、一種超然とした視点から語られる物語は、「ドキュメンタリー作家」ならではのもの、と言えるのではないだろうか。

 つまりキューブリックは結局のところ、根っからのカメラマンであり、ジャーナリストなのだ。狂った世界を、歪んだテクノロジーを、人間の醜悪さを暴きだすために、自らが創りだした「世界(フィクション)」を、自らのカメラで「報道(ドキュメント)」する。それが例え、一般的な観客を置き去りにしてしまうことになったとしても、劇的な興奮が欠落していても、だ。

 キューブリックが描き出し、切り取った映像に意味や意図を見出すのは、観客である我々の仕事なのだ。ただ漫然とスクリーンを眺めているだけでは、その真意は全く伝わらない。キューブリックと真剣に対峙するつもりのない観客に、キューブリック作品を批評する資格などないのだ。