2017年02月

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2001年宇宙の旅 [Blu-ray](amazon)


鬼才S・キューブリック監督が、壮大なビジョンと観客を圧倒する強烈な視覚&サウンドを駆使して打ち立てた、SFの枠にとどまらない、映画史上に燦然と輝く金字塔的名作。

町山智浩の映画塾:#193 「2001年宇宙の旅」<予習編><復習編>




 映画評論家である町山智浩氏による『2001年…』の解説動画です。いくつか気になる点がありましたので、以下にそれを列挙したいと思います。

 まず、『これがシネラマだ』の動画はこちらでご紹介済みです。

 例の「ジャンプカット」の後に最初に登場する衛星はドイツ製ではなくアメリカ製です。

 モノリスの形状ですが最初はピラミッド(底面が正方形)だったと解説していますが、正確には正四面体(底面が正三角形)です。正四面体をボツにした理由が「関係ないピラミッドに見えるから」でした。

 小説版はキューブリックの執拗なチェックはあったにせよ、一語一句全てクラークが書いている筈です。動画の言い方だとキューブリックが直接小説版のテキストに手を入れたと誤解されそうです。「キューブリックとクラークが共同で作り出した物語をキューブリックは映画にし、クラークは小説にした」というのが正しい認識です。キューブリックは「同一コンセプトの物語を違う媒体で表現する試み」とインタビューで語っています。

 ディスカバリー号のアンテナ・ユニットのアニメーションはセル画だと説明していますが、正しくは文字通りアンテナ・ユニットのワイヤーフレームの模型を製作し、それを自由台座の上に乗せて少しずつ動かしながら連続して撮影したものをつなぎ合わせたものです。いわゆるストップモーション・アニメーションですね。セル画なのは「ATM」「COM」などの文字や図面です。

 ニュースパッドの画面はブラウン管ではなく、裏からのスクリーン投影です。当時のブラウン管は精度が悪く、あんなに映像が鮮明ではありません。それに画面が曲面ではないので、あからかにブラウン管ではありません。『2001年…』に登場するモニター画面のほとんどすべては裏側からのスクリーン投影(リア・プロジェクション)によるものです。

 ダグラス・トランブルについてはこちら、ジョン・ホイットニー・シニアについてはこちらで紹介済みです。ちなみにジョン・ホイットニーがキューブリックに呼ばれていたという話は管理人は知りません。

 スターゲート・シークエンスについてはこちら。「人類の夜明け」のシークエンスが「白い部屋」の前にあったという話は知りませんが、検討されていた可能性はあるでしょう。

 「白い部屋」は異星人がボーマンの記憶を実体化したものと説明していますが、これは明らかに間違いで、小説版ではっきりと「月に残したモノリスが地球のTV番組をモニターしていて、そのTVドラマに出てきたホテルを実体化した」と説明しています。

 こういった細かい点はまあさておいて、一番の問題はこの動画で町山氏が終始言及する「キラー・エイプ理論」についてです。町山氏はこれを「同族殺し」と定義し、猿人が人類に進化するキーになったと解釈しているようですが、それでは解釈が狭過ぎます。クラークやキューブリックは、猿人から人類への進化のキーは「(武器も含む)道具を(高度に)を使いこなせること」と考えていたんです。それを「殺人(同族殺戮本能)」とだけ解釈してしまうのはかなり恣意的で偏狭な解釈です。小説版では透明モノリスが猿人に道具の使い方をレクチャーしているシーンがでてきますし、それによって狩りを覚え、肉食によって飢餓による絶滅から抜け出し、やがて人類として地球の支配者となったとの描写があります。それと同時にその道具は武器にもなり得て、同族殺しにも使用されるのですが、それは道具使用の一例に過ぎず、全体としては「猿人はモノリスから高度に道具を操る知恵を授かり、人類への進化の階段を上がった」という説明になっています。映画版でも当初猿人はバクには無関心でしたが、モノリス後はバクを殺し、骨を片手に肉を食っているシーンがあることから、それは同じでしょう。

 町山氏は何故かそれを「モノリスから同族殺しの方法を教わった」部分だけを抽出し、他の部分を無視。なおかつ「それは間違ってます」とドヤ顔で語っていますが、間違っているのは残念ながらあなたです。しかも『博士…』『2001年…』『時計…』をキラー・エイプ理論でひとくくりにして三部作と説明していますが、もともと『2001年…』の後は『ナポレオン』のプロジェクトを進めていたわけで、それも事実と異なります。そもそも『博士…』『2001年…』『時計…』で(SF)三部作とする考え方は現在では否定されています。キューブリックも「原作のチョイスは単なる偶然で意図はない」と明言しています(とはいいつつ、その当時の映画のトレンドは意識していたでしょうけど)。

 独自理論・独自研究のお披露目はおおいに結構なのですが、事実誤認のまま自信満々に語る姿は痛々しい限り。まあ痛々しいだけならともかく、ここまで自信満々だと鵜呑みにする方もいらっしゃるでしょうから、ちょっと問題です。そういう意味では動画のタイトルは『町山智浩の映画塾』ではなく『町山智浩の単なる私見的映画論』とでもしておいてくれれば良かったのに、とは思いますね。
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※この高級アパートメントの最上階に居住していた(Google Street View

 キューブリックは映画監督という職業柄、数多くの引越しをしていますが、『時計…』以降はロンドンに腰を落ち着け(旅行嫌いと出不精が表出したとも言う。笑)、ロンドン北部のアボッツ・ミードセント・オールバンズに長く居住したことが知られています。

 それ以前は世界の各国・各地を転々としているのですが、その中でもはっきりと住所が判明してるのはこの『2001年…』の制作準備中に居住したニューヨークのアパートメントです。ソースは例の「手塚治虫に送られた手紙」になります。ここにはっきりと「239 Central Park West New York City」と住所が書かれていますね。その場所は現在も当時と変わらず守衛さんがいる高級アパートメントです。この最上階のペントハウスにキューブリックは妻クリスティアーヌと三人の娘と住んでいました。

 1964年3月に始まったここでの生活は『映画監督スタンリー・キューブリック』『失われた宇宙の旅2001』に詳しいのですが、クラークを自宅に呼んでステーキを振舞ったり、そのクラークを娘たちは「クラーク・ケントだ!(スーパーマンの主人公の名前)」とからかったりなどの微笑ましいエピソードのほか、キューブリックが『2001年…』制作のために設立したポラリス(北極星)社とは実質ここだったので、クラーク以外にも(クラークはその頃有名なチェルシー・ホテルに居住していた)多くのスタッフが出入りしていたようです。

 セットの制作など、作業が本格化するとキューブリックはこのアパートを引き払い、1965年7月21日にニューヨークからクイーン・メリー号でロンドンに渡っています。そのソースはスタンリー・キューブリックのオフィシャルアカウントが公表したこのチケットにはっきりと記載されています。クラークもこの時ニューヨークから一旦セイロンに戻り、8月になって再びキューブリックとロンドンで合流したそうです。

 ちなみに以下はそのアパートメントを管理する不動産会社が、12E号室を紹介するために作成した動画です。ものすごい高級アパートだったことがこれでわかりますね。

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※スタンリー・キューブリックのオフィシャルアカウントが公表した「アテナ(アシーナ)」のスケッチ。日付は1965年7月20日となっている。

 キューブリックとクラークは『2001年…』を創作するにあたり、ロボットの登場を考えていました。理由は、木星や土星への壮大な宇宙旅行の実現にはロボットのサポートが必要になるだろうし、それに当時の『禁断の惑星』などの宇宙映画には必ずロボットが名脇役として登場していたからとも考えられます(キューブリックは制作当時の映画のトレンドをかなり意識して映画制作をしていた)。そのキューブリックのロボットへの興味が手塚治虫へのオファー(キューブリックは『鉄腕アトム』を観ていた)に繋がったのでしょう。

 そのロボットは形を変えてやがてスーパーコンピュータ「HAL9000」に行き着くのですが、その変遷を資料を元に辿ってみたいと思います。



1964年4月

 キューブリックとクラークがニューヨークで合流し、『2001年…』の製作開始される。まずは短編小説『前哨』を元に長編小説を書き起こすことから作業を始める。

1964年6月

 「ソクラテス(正式名称:自律移動型探索機5号)」というロボットが登場する。ソクラテスは「わたしはあらゆる宇宙活動用に設計されておりまして、独立した行動もとれるし、本部からでもコントロールがききます。通常の障害物にぶつかったときや、かんたんな非常事態の判定ぐらいは、内蔵された知性で楽に処理できます。いまわたしはモルフェウス計画(人工冬眠計画)の管理をまかされています」と自己紹介し、「ロボット三原則」にも言及されている。手には様々な工作機械が取り付けられ、頭は4つの方向に広角レンズが向けられ、360度の視野を確保している。このアイデアはやがて「HALの目」へと発展する。

1964年8月

 キューブリックがコンピュータの名称を「アテナ」にしよう、と提案する。この時点でロボットはコンピュータへと変化している。

1965年2月

 『星々への彼方への旅』として記者発表される。ただしスターゲート到着までで、結末は未完のままの状態。

1965年5月

 アテナはディスカバリー号の頭脳として活躍し、スペースポッドの事故やその後の対応でクルーをサポートするという(この時点ではコンピュータの反乱というアイデアではない)第一稿が書き上がる。この原稿ではボーマンがちぎり取られたアンテナを回収するためにポッドで離船しようとした際、アテナに「今の命令は第十五号指令に違反しています。取り消すか、訂正をお願いします」と拒否されている。このシーンが後に「コンピュータの反乱によるクルーの殺害」というアイデアに行き着く。

1965年7月

 上記のスケッチが描かれる。このスケッチを見る限り、中央のメインコンソールが胎児に見えるなど、女性の胎内を模しているように感じられる。HALのブレインルームへの侵入が下部(すなわち膣)であったり、内部が赤い照明であったりするのは、この頃のデザインの名残である可能性がある。キューブリックがコンピュータの性別を女性にした理由は明確ではないが、映画の後半には女性は登場しなくなるので、バランスを取った結果なのかもしれない。また、アテナはギリシャ神話の知恵の神の名であることから、様々な推測をすることができるが、キューブリックは明確な説明をしていないので全ては想像の域を出ない。

1965年8月

 クラークが一旦セイロンの自宅に戻り、8月にロンドンに到着した際にはセットの建造は始まっていた。

1965年12月

 月面シーンから撮影開始。

1966年1月

 この頃クラークはHALが狂い始めるシーンを書いている。

1966年3月

 キューブリックからクラークへHALの神経衰弱について「三分間のポエティックなクラーク風ナレーションを」というオファーが届く。この段階では名称はHALに決定しており、HALのシーンの撮影中だったのではないかと推測。

(出典:『失われた宇宙の旅2001』



 若干推測も含んでいますが、おおまかにはこういった流れになります。意外なのは「アテナ」だった期間が長かったこと。約一年以上にわたってこのアイデアのままでした。キューブリックとクラークがいつベル研究所で行われたIBM7090による音声合成のデモを聴いたのかは定かではありませんが、その体験ががアテナ(女性)からHAL9000(男性)への変更を促したであろうことはほぼ確実だろうと思われます。

 さて今日本作を観返してみて、『2001年…』内の未来予測の中で真逆の進化を遂げたのが「コンピュータの大きさ」です。キューブリックとクラークはコンピュータが高機能化すればするほど大型化すると考え、HALの本体を人が入れる金庫室のようなデザインにしました。しかし現実は宇宙船に搭載するには小型化するしかなく、現在『2001年…』を観るとHALのブレインルームは大げさに見えるかも知れません。しかし、HALのアイデアの元ネタがIBM7090だとすればそれも仕方ないのかも知れません。このIBM7090がHAL9000やディスカバリー号の内装デザインに与えた影響は明白です(型番のIBM7090→HAL9000も)。

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※IBM7094の制御卓

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※HAL9000の制御卓

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※IBM7040の制御パネル

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※HAL9000の制御パネルやディスカバリー号の内装

「HALはIBMのアルファベット一文字ずらし」という噂をクラークは否定していましたが(後に「否定するのを辞めた」と書いていますが、噂が真実かどうかは慎重に言及を避けている)、以上の経緯から個人的にはこの噂は真実だと判断しています。

 また、HALの声を担当した声優にも言及したいと思います。まだHALがアテナだった頃、キューブリックは声をステファニー・パワーズに担当させようと考えたようです。それがHALになった時も最初にリハーサルしたのはパワーズだったそうです。しかしすぐにイギリス人の俳優ナイジェル・ダベンポートに変更され、結局マーティン・バルサムにいったん決定しました。しかしいざ録音してみると「あまりにもアメリカ口語に聞こえた」ため、当初ナレーターにキャスティングしていたダグラス・レインに急遽変更、レインの当たり障りのない中部大西洋風アクセントがHALにふさわしいと判断したキューブリックは、1日半を使ってHALのセリフを録音したそうです。

 余談ですが、ステファニー・パワーズはフランク・プールを演じたゲイリー・ロックウッドと1966年に結婚(後に離婚)していますが、そのきっかけが『2001年…』での共演未遂だったとしたら、ちょっと興味深いですね。1966年といえば上記の年表にある通り、『2001年…』の制作真っ盛りですので可能性はかなり高いと言えるでしょう。
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 アメリカ合衆国の現状を見るに、この上ないタイミングでの登場です。詳細は以下から。

 スタンリー・キューブリック監督の傑作「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」。冷戦下で核兵器を巡るドタバタと人類の末路を描くこの上なくシニカルなブラックコメディ作品ですが、そこに登場する人物たちの有様は今現在の世界にも十分通用するもの。

 この作品をヒューマン・リーグ、ヘヴン17のメンバーであり、ティナ・ターナーやイレイジャーなどのプロデューサーとしても活躍するマーティン・ウェアが作中の映像と台詞を電子音楽でリミックスしています。

(全文はリンク先へ:Buzzap!/2017年2月18日




 うーん、記事で煽っているほどでは。それよりも動画の作者であるマーティン・ウェアが「ヘブン17」のメンバーだったことに触れて欲しかったですね。そう、『時計…』でのレコードショップでナンパされた女の子のセリフ「誰が好き?ゴグリー・ゴゴル?ジョニー・ジバゴ?ヘヴン17?」が元ネタになったバンドです。そのヘブン17についてはこちらで以前記事にしています。マーティン・スコセッシの『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のリミックスがこの再生数ですので、これで味をしめたみたいですが・・・残念ながらここまではバズらないでしょう。

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(引用先:getty images:A scene from the movie 'A Clockwork Orange' in 1971 in London, England.January 01, 1971)※一部画像加工済

 まず上記の写真ですが、これは『時計…』のラスト、アレックスが夢想するレイプ・ショーの中の「レイプ・ファンタジー」と呼ばれるシークエンスです。現在視聴できるDVDやBD、2年前全国で開催された『ムービーマスターズ第1弾スタンリー・キューブリック』での上映でもこのシークエンスはカットされていて存在しません。このシーンを見たというsaito氏の証言によると

 私が時計じかけのオレンジを初めて見たのは2001年宇宙の旅の1978年のリバイバルの翌年、恐らく1979年の時計じかけのオレンジのリバイバルだと思われますが、そのときのラストシーンは現在のショット(雪の上で中世風の人々に拍手を受けながらスローモーションで転げている男女)の直前に、(雪の上で中世風の人々に拍手を受けながらスローモーションでカメラに向かって駆けて来る裸の女性を追いかけるアレックス)のカットがあり、そのカットはズームバックで3分割されており、その3分割の間に病室で妄想に浸るアレックスのアップが2回カットバックされるものでした。その後に、現在のラストカットが続いていました。

KUBRICK.Blog.jp BBS『時計じかけのオレンジのラストカットの相違について』より)


という内容だったようです。

 同様の写真は『世界の名画&名優大全集 』(徳間書店:1976年)にも掲載されていて、それがこちらになります。

 また、海外のマルコム・マクダウェルのファンサイト『www.MalcomMcdowell.net』にも同じ記録があり、

On the call sheets this was called 'Rape Fantasy' that's why think this sequence was cut out because it shows Alex chasing the girl down and she looks horrified. It looks like he ripped her clothes off and she is trying to get away. By only showing the girl on top of Alex in the film it makes her look happy and it's consensual. You can't rape someone who is on top of you, they have to want to be there or they could jump off. This way Alex's final line, "I was cured all right" is ambiguous which Kubrick preferred. Was he cured to go back to his raping ways or was he cured to experience physical love?

 これはコールシートでは「レイプ・ファンタジー」と呼ばれていて、アレックスに追いかけられる女の子のシークエンスは、ぞっとするような印象を与えるためカットされたとされている。アレックスは服をむしり取り、襲いかかろうとしているようだ。フィルム上のアレックスの上に女の子を見せることによって、彼女は合意し、幸せであるように見える。あなたはレイプすることはできませんが、ここにいたいと思っていなければいけません。アレックスのセリフの最後の一行の「完全に治ったね」は曖昧です。キューブリックはどちらを好んだのでしょう?アレックスはレイプの方法を取り戻すために治ったのでしょうか。それとも肉体的な愛を経験するために治ったのでしょうか?


 以上の資料から、この「レイプ・ファンタジー」のシークエンスはsaito氏の証言通り、存在していたのは確実でしょう。

 次に、映画評論家の河原畑寧氏のこのコメント

「このスローモーションのレープ・ショー・シーンは日本公開版ではオリジナルよりかなり短くされている」

(キネマ旬報1972年5月上旬号より引用)


にも注目したいと思います。河原畑寧氏は初公開時のパンフレットに寄稿しているので、公開前の試写を観ているのは確実だと思われます。つまり、氏は試写でこの「レイプ・ファンタジー」を観ていて、その後公開版を観てカットされているのを知り、上記のコメントを書いたのだと思います。氏は、当時の日本はポルノに対して世界的にみても厳しい基準を設けていたので、カットされたのは日本公開版だけで世界公開版ではカットされていないと勘違いしたのでしょう。

 以上の証言・資料からある推論が導き出されます。つまり「試写の段階ではレイプ・ファンタジー・シークエンスは存在した」「その後キューブリックの要請によりカットされ、それが決定版になった」という推論です。キューブリックが公開ギリギリまでカットするのはよくあることなので、特に目新しい論ではありませんが、saito氏は初公開時ではなく、リバイバル時にこのシーンを観ています。どうしてこんなことが起こってしまったのでしょうか?

 試写が行われた以上、最低でも1本はレイプ・ファンタジー・シークエンスを含んだフィルムが日本国内に存在していたことになります。その1本、もしくはキューブリックのカットの指示が届く前にプリントした何本かが、何かの手違いで映画館に流通してしまったのでしょう。そしてその後のリバイバル時にはカットの事実は忘れ去られてしまい、レイプ・ファンタジー入りと、なしのフィルムが混ざってしまったままリバイバル上映に回されてしまったのではないでしょうか。

 この「レイプ・ファンタジー入りのフィルム」が何本存在していたのかは分かりませんが、もっと情報が集まれば何か新しい事実が判明するかも知れません。もし「私もレイプ・ファンタジーを観た」という方がいらしゃいましたら、

・ご覧になった年月日(年だけでも)
・ご覧になった映画館(無理なら都市名、もしくは地方名)

こちらの掲示板に情報をお寄せください。尚、掲示板に書き込まれた証言は、レイプ・ファンタジー検証記事に証言者名(情報のソースを明確にするためです。ハンドル名で結構です)も併せて使用させていただきますことを何卒ご了承ください。

 皆様の情報提供をお待ちいたしております。

情報提供:saito様
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