2015年11月

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Sue-Lyon-Lolita
1962年公開のキューブリック版『ロリータ』のロリータ役、スー・リオン。

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1997年公開のエイドリアン・ライン版『ロリータ』のロリータ役、ドミニク・スウェイン。

 キューブリック版『ロリータ』についての論考はここここをご覧ください。ここでは主にエイドリアン・ライン版について考察します。


(1)主要4人のキャスティングの比較

●キューブリック版

ロリータ・・・・スー・リオン
ハンバート・・・ジェームズ・メイソン
シャーロット・・シェリー・ウィンタース
キルティ・・・・ピーター・セラーズ

●エイドリアン・ライン版

ロリータ・・・・ドミニク・スウェイン
ハンバート・・・ジェリミー・アイアンズ
シャーロット・・メラニー・グリフィス
キルティ・・・・フランク・ランジェラ

 一般的に原作のイメージに近いのはライン版の方だと言われています。それには同意するのですが、ハンバート役のジェリミー・アイアンズが中年という割には若々しく、普通にイケメンなので「知性の高い教養人の裏に隠された少女偏愛という変態性向」があまり感じられません。ロリータ役のドミニク・スウェインには賛否両論ありますが、原作にある小悪魔的な要素が少ない気がします。どこにでもいる童顔の少女、といった印象です。シャーロット役のメラニー・グリフィスは確かに原作に近いのですが、髪型やファッションが奇抜すぎて違和感があります。キルティ役のフランク・ランジェラはまさに原作通りなのですが、映像にするとあまりインパクトがありません。付け加えるならば、オープニングに登場したハンバート少年期の恋人アナベラと、ロリータの間に共通項が見いだせないため、ハンバートがロリータに一目惚れするシーンに全く説得力がありません。


(2)時代描写

●キューブリック版
1960年代初頭に製作され、映画の設定は同時代

●エイドリアン・ライン版
1990年代中頃に製作され、1940年代後半を再現

 これは製作時と映画の時代背景が同じのキューブリック版が方が有利ですが、それにしてもエイドリアン・ライン版が描く1940年代は違和感がありすぎます。いかにも1990年代的1940年代です。


(3)プロット

●キューブリック版
キルティが殺される場面からスタートする。

●エイドリアン・ライン版
キルティを殺害し、呆然と車を運転している場面からスタートする。

 キューブリックはキルティが殺害されたシーンを頭に持ってきた理由を「ハンバートとロリータが寝てしまった後に観客が物語に興味を失ってしまうのを避けるため、ハンバートに冒頭なんの説明もなくキルティを撃たせれば、観客はなぜキルティが撃たれたのかと映画の終わりまで思い続けるに違いない」と説明しています。ライン版は打ちひしがれたハンバートの表情から「この映画は哀れな中年男性の悲劇の物語である」と宣言している印象を与えます(原作では少しニュアンスが違っていて、単にボケっと対向車線をゆっくりと走っているだけで悲劇的な印象はない)。


(3)少女偏愛の描写

●キューブリック版
ヘイズ婦人と抱き合う際にロリータの写真を見るシーンや、ダンスパーティーや庭でロリータに送る視線でかろうじて表現している。

●エイドリアン・ライン版
ボイスオーバーで心情を語るシーンが中心。一部変態行為を伺わせるシーン(庭のブランコのシーン)もあるが、エロティックな表現のそのほとんどがロリータからハンバートに向けられたもの。

 原作の少女偏愛の定義は「少女の何気ない日常の所作に性的興奮を覚える」というものです。ハンバートがロリータにエロティックな妄想をするシーンより、ロリータがハンバートに媚びるシーンが大多数を占めるライン版ではロリータが単なるビッチに見えてしまい、ハンバートはその被害者であるという誤った印象を観客に与えています。


(4)キルティの描写

●キューブリック版
物語の最初から登場。ビアズリーでも「ゼムフ博士」として登場し、異様な存在感を発揮している。

●エイドリアン・ライン版
原作に忠実。

 キルティの存在感はキューブリック版では誇張され、その役割は大きくなっています。逆にライン版ではかなり原作に忠実に描かれています。


(5)演出

●キューブリック版
ブラック・コメディ色を強調。

●エイドリアン・ライン版
サスペンスやロードムービー色を強調。

 両版ともなるべくポルノ色を薄めようとしていますが、効果があったかどうかは疑問が残ります。これは小説『ロリータ』の映画化がいかに難しいかを如実に表しています。


(6)原作について

 原作は「少女偏愛という性癖と妄想に取り憑かれたある中年男性が、一人の少女との出会いと別れを通じで真実の愛に気付く物語を、自虐とユーモアを織り交ぜて綴った手記」という体裁になっています。その描写は非常に持って回った言い方に終止していますが、結局はフェティシズムと肉欲がその大部分を占めています。だからこそ、最後の最後にロリータを真に愛するに至る(ハンバートはロリータがニンフェットでなくていもいいから、一生側にいて欲しいと懇願する)場面とのコントラストが絶妙かつ寓話的で、この物語の最も感動的にしているのです。


(6)コンセプト

●キューブリック版
小説版と同じコンセプトで映画化。

●エイドリアン・ライン版
破滅的な悲恋物語として映画化。

 キューブリック版は小説の意図を映像化しようと努めてはいますが、成功しているとは言い難いです。ライン版は少年期の少女との純愛と挫折から立ち直れない可哀想なイケメン中年男性が、その少女の面影があるロリータに恋をしたが、正体不明の怪人がその関係を見抜き横恋慕、その男を殺し自身も破滅するという悲恋物語として描かれています。


(7)コンセプトの視覚化

●キューブリック版
打ち抜かれた女性の肖像画で少女愛との決別を表現。

●エイドリアン・ライン版
妊婦になったロリータにかつて少女(ニンフェット)だった頃のロリータをオーバーラップさせる事によって悲恋物語である事を表現。



 以上の点を踏まえた上で考察してみると、キューブリックもラインも原作を上手く映像化できていない事に気づきます。それはキューブリックの「もし、この映画を撮り直すことができたら、私はナボコフと同じウェイトをかけて、彼らのエロティックな要素を強調するだろう(『イメージフォーラム キューブリック』より)」というコメントが示す通りです。しかしキューブリックの時代も、ラインの時代も、そして現在も、中年男性が少女に向ける肉欲を映像化するなどは規制の問題で絶対不可能です。

 原作ではハンバートがロリータや他の少女に対して「妄想」し「視姦」し「変態行動」する様が、高尚な文体で恍惚的に語られています。例えばハンバートがロリータに劇に出るのを許可するのと引き換えに、教室で自分の前に座る美少女が髪を指に巻きつける仕草を視姦しながら、ロリータに手淫させるシーンなどです。(まあその変態のタガを外してしまったのはロリータ自身なのですが)つまり『ロリータ』という物語はその根幹の部分からして映画化できない物語なのです。

 そこで二人の映画監督は対照的なアプローチをして映画化に踏み切ります。キューブリックは原作の「自虐とユーモア」の部分を強調してエロティシズムを薄め、そのための一番有効なキャスティングを(キルティの存在感を強調してピーター・セラーズをキャスティングしたのはそのため)して、コンセプトだけは原作に忠実に映画化しました。一方のラインはキャスティングや台詞、シチュエーションなどはなるべく原作に忠実にしつつ、コンセプトを悲恋と自滅の物語とする事で映画化に漕ぎ着けました。

結論:原作の少女偏愛というフェティシズムと肉欲を映像化できない制限の中、キューブリックは皮肉な笑いを誘う寓話として、ラインは自滅してゆく哀れな中年男の悲恋物語として映画化した。そう結論づけられる理由は上記の通り。

 ライン版のハンバートに変態性が薄く、ロリータに少女偏愛を感じさせる要素があまりないのは以上のような理由があります。原作の「皮肉に満ちた寓話」に忠実なキューブリック版、原作の「ストーリーや台詞」に忠実なライン版、どちらを支持するかは個人の判断によりますが、ライン版が少女偏愛に対してやや同情的であるのに対して、原作やキューブリック版は「人間の本質的な性欲の変種であり、こういった自滅に陥る可能性は少女偏愛に限らずは誰にでもありうる」として突き放した表現になっています。原作では殺人罪で逮捕された獄中においてでさえ、その変態性向を止めないハンバートの屈折した心情が自虐的に綴られています。「変態は死ななきゃ治らない」「でもそう言うあんただってほら、変態だろ?」という作者の黒い笑いが聞こえてきそうですが、そういった意味ではキューブリック版のアプローチの方が評価できるのではないか、そう考えています。

Humbert Humbert と Norman Rockwell―映画 Lolita(1997)の功罪を再考する中田晶子

 上記のテキストは主にライン版を論考したものですが、「ラインは少女偏愛を否定的に描こうとしたにもかかわらず(7)のシーンを加えたのは不可解」と分析しています。全くその通りで、ラインがそのつもりなら原作にある「私は(ロリータに対する)強姦罪なら有罪だが、殺人罪なら無罪だ」というハンバートの宣言を徹底しなければなりません。しかし、演じたジェレミー・アイアンズが「子供に対する性的虐待の実態を知らなければ解決もできない、子供の教育もできない」と語ったほどに一方的な性的虐待というニュアンスには見えません(ロリータがやりかえす場面が多い)し、逆に悲恋物語としてハンバートに同情心すら感じさせてしまっています。何がどうしてこうなってしまったのか分かりませんが、表現方法以前にコンセプトを徹底できなかったラインの力不足であるのは否めないでしょう。


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 場末のボクサーとダンサーが恋に落ち、ダンスホールの嫉妬深いオーナーから手を取り合って逃げ出すというストーリーの映画を企画するが、実際に主演の二人が恋に落ちてしまい、女優のパトロンでもある映画の出資者がそれを知って激しく嫉妬、そして・・・というサスペンス風味の少し苦いラブストーリー。

 製作する映画がキューブリックの『非情の罠』をモチーフにしているので、そのオマージュがあちらこちらに登場してキューブリックファンならそれだけでも楽しめます。ピーター・コヨーテ演ずる監督の名前が「スタンリー」、ダン・ショア演じるプロデューサーが「ファリス」(ジェームズ・B・ハリスのもじり)、嫉妬する出資者が「フランク・シルバ」(おそらく『非情…』で悪役のラパロを演じたフランク・シルベラのもじり)という役名というだけでニヤっとできちゃいますね。

 『非情…』では舞台はニューヨークで、撮影はほとんどロケでしたが、この映画では舞台を1950年のハリウッド、全てセット撮影と変更されています。でも、ストーリーラインはほぼ『非情…』と同じで、オマケに映画完成後の試写室で監督が力説する次回作の「泥棒映画」の構想までオマージュするというオチまで、キューブリックファンにとってはとても楽しめる映画となっています。

 ただし、純粋に映画としての完成度は全くの駄作で、主演二人の恋模様とそれに嫉妬する出資者という三角関係も盛り上がらない事甚だしい。正直、キューブリックファン以外は観る価値は全くありません。そんな現実を反映してかDVD化はされてないようです。まあ、このデキならそれも仕方ないとは思いますが。

 管理人はamazonからVHSを購入いたしましたが、VHSの再生環境がある方はレンタル落ちが安価で販売していますし、ご覧になってみるのも一興かと。繰り返しますが、キューブリックファンはとても楽しめますが映画としては全くの駄作ですので、それを覚悟の上ご購入&ご視聴ください。

 IMDbはこちら


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ストレンジャーズ・キス [VHS]

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 監督スタンリー・キューブリックによるSF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」をオーケストラと合唱団の生演奏による音楽とともに楽しむイベント「ライブ・シネマ・コンサート『2001年宇宙の旅』」が渋谷Bunkamuraオーチャードホールにて開催される。SF映画においてクラシック音楽を使用するスタイルを確立したと言われる本映画作品をこの機会に観る、または観直すことで新たな感動、発見があるかもしれない。

「ライブ・シネマ・コンサート『2001年宇宙の旅』」

指揮:ロバート・ジーグラー
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:東京混声合唱団
日時:2015/11/25(水)19:00開演、2015/11/26(木)14:00開演
会場:Bunkamuraオーチャードホール
協力:ワーナー・ブラザーズ/サウスバンク・センター(ロンドン)/ブリティッシュ・ フィルム・インスティテュート

(引用先:X BRAND/2015年11月19日




 以前ここでご紹介した『2001年…』とオーケストラのコレボレーション・コンサート「ライブ・シネマ・コンサート『2001年宇宙の旅』」がいよいよ来週に迫ってきました。上記の動画ではしっかりと準備がすすんでいる旨の報告がありましたが、やはりファンなら「シネラマで観たかった」というのが本音なのではないでしょうか。もちろん、この素晴らしい企画を日本で上演していただくことに関しては感謝の念でいっぱいなんですけども。初公開時を知らない世代が大多数を占める現在、いつかシネラマの完全再現で『2001年…』を観てみたいものです。ミラーボール付きでもOKですので(笑。

 チケットですが、イープラス分は売り切れのようですが、チケットぴあとBunkamuraのHPのオンラインチケットだと両日とも残席が若干ありますので、時間が取れそうでしたら是非の鑑賞をおすすめします。

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※ラインナップにある『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』の予告編。『エイリアン』のモロパクですが、こういったB級ノリを楽しめる人向け特集です。(一部閲覧注意)

 2015年SFイヤー最大の盛り上がりを見せるこの時期、ムービープラスではSF映画を大特集。新旧のクリエイターたちが、自らの想像力を駆使し、映画史にそのタイトルを刻んだ29作品を、72時間にわたってお届けします! 

怒涛のSF72時間大特集
2015年11月20日(金)21:00〜23日(月・祝)21:00

放送作品ラインアップ

『アフター・アース』
『イーオン・フラックス』
『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』
『クラウド アトラス』
『クローバーフィールド/HAKAISHA』
『サラマンダー』
『ジャッジ・ドレッド(2012年)』
『スタークラッシュ』
『スターシップ・トゥルーパーズ』
『スターシップ・トゥルーパーズ2』
『スターシップ・トゥルーパーズ3』
『スローターハウス5』
『ダーク・スター』
『ターミネーター2』
『ダイバージェント』
『タイムマシン(2002年)』
『トータル・リコール(2012年)』
『ドニー・ダーコ』
『トロン:レガシー』
『2001年宇宙の旅』
『her/世界でひとつの彼女』
『バーバレラ』
『バタフライ・エフェクト』
『ブレードランナー ファイナル・カット』
『プロメテウス』
『メガフォース』
『リディック:ギャラクシー・バトル』
『リベリオン−反逆者−』
『ロックアウト(2011年)』

(詳細はリンク先で:ムービープラス/怒涛のSF72時間大特集




 なかなか面白いラインナップが揃っていますね。定番や近年作は除外するとして、真面目におすすめするなら『スローターハウス5』『バーバレラ』あたりでしょうか。ジョン・カーペンターのデビュー作『ダーク・スター』は嬉しいですね。あのロジャー・コーマン制作で、スタッフとしてジェームズ・キャメロンが参加していたという『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』や、『スター・ウォーズ』人気に便乗したパクリ作品『スタークラッシュ』あたりにも惹かれます。おバカ映画として名高い『メガフォース』もイイですね。

 特集タイトルだけ見ると本格ハードSFばかりのような気がしますが、実態は完全にマニア向け特集です。『2001年…』や『ブレードランナー』に騙されてはいけません(笑。あまりオンエアのかからない作品も多いので、この機会に特A級からZ級まで存分にSF映画を堪能してみてはいかがでしょうか。

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※オフィシャルサイトはこちら

 キューブリックがアポロ月面着陸の捏造映像を撮影したというトンデモ説を元ネタにシンプルな笑いを徹底していれば、もっと笑えて楽しいおバカコメディ映画に成り得たはずなのに、下手に政治的主張を潜り込ませたために、何がしたいのかよくわからない中途半端でしまりのない作品になってしまった。

 「アポロ計画の熱狂を隠れ蓑に、その裏でベトナム戦争に邁進していたアメリカを批判する」という、政治に興味をもったばかりのウブな大学生がやりそうな主張を今頃になって臆面もなく展開しているが、その元凶は監督の祖国、フランス(ベトナムは元々フランスの植民地で、そのフランスの立場を引き継いだのがアメリカ)である事実を知らないのだろうか? 星条旗を引き倒す暇があったら、その血塗られた三色旗も踏みつけるくらいしていただかないと、一度はそのフランスからベトナムを奪った日本人としてはまったく納得できない。

 この程度の幼稚な政治的主張しかできないから、当然のように本編もつまらない。明らかに尺伸ばししたいがためのドラッグシーンや、60年代のロンドンというよりまるでサンフランシスコのようなコミューンの描写。伏線として有効に機能していないバンドボーカル君の「ロックオペラ」(おそらくフーのロジャー・ダルトリーがモチーフ)やパールマンのPTSD(都合よいストーリーに持っていくための無理矢理なこじつけ)。バンドボーカル君が嗅ぎつけられる程度の二人の居場所を探し出せない無能なマフィアなど、脚本のアラも目立つ。月面着陸成功に熱狂する民衆のライブラリー映像にCCRの『フォーチュネイト・サン(富裕層が始めたベトナム戦争に貧困層が兵士として戦地へ行かされる現実を告発した歌)』をかぶせるというのは『博士…』のラストシーンをオマージュしたつもりかもしれないが、グロな殺戮シーンを見せることが「ブラックユーモア」と勘違いしている監督にふさわしいトンチンカンぶりに言葉もない。「ブラックユーモア」とは「笑うに笑えないほど真をついた皮肉・当てこすり」を言うのであって、真をつくどころかピントはずれっぱなしのシーンの連発に、失笑するのがせいぜいだ。

 処女作とはいえ、このレベルの監督なら次作でよほど頑張らないとハリウッドからお声がかかることはないだろう。わざわざ電車賃とチケット代を払って見に行く映画でもなく、レンタルで十分な作品だ。そちらの方が数々のキューブリック作品のオマージュをリピート再生で確認できるというメリットもある。とにかく映画スキルが高いであろうキューブリックファンを納得させるレベルにない事は確実なので、オマージュだけ楽しみたい諸氏はレンタルか衛星放送での放映を待った方がよさそうだ。

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