2006年06月

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 『2001年…』に登場し、余りにも魅力的なキャラであったためか、あっちこっちで引用、ネタ、パロディにされた、恐らく世界で一番有名なコンピュータ。

 HALとは、Heuristically programmed ALgorithmic computer (学習能力をプログラムされたコンピュータ)の略称。しかし、一般にはこの映画の協力企業である、IBMのアルファベットを一文字分だけ前にずらしたもの、 との説が知られている。 クラークは「偶然」を力説するが、当時IBMが映画に全面協力していたのだから、この一致に気付かない訳がない。秘密主義で内容は全く知らせられないまま協力させられられた揚げ句、いざ蓋をあけてみれば自社のロゴを付けたコンピュータが人間と敵対するお話だったなんて事じゃ、IBMもたまったもんじゃない(実際に当時は社員に『2001年…』を見ないようにとのお達しがあったようだ)。そんなIBMの怒りの火消しにやっきになったクラーク先生、というのが実際だったのだろう。

 尚、HALの声は当初ナレーターとして予定されていたダグラス・レインが担当した。
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Ken Adam (IMDb)
ケン・アダム(MOVIE FAN)

 『博士の…』の最高作戦室など、印象的なセットを生み出したイギリス人のプロダクション・デザイナー。キューブリック作品では他に、『バリー…』にも参加しているが、この時は『博士の…』以上にキューブリックからの強いプレッシャーに悩まされ続け、片時も精神安定剤を手放せなかったらしい。

 主な参加作品は『007ドクター・ノォ』('62)、『007ゴールドフィンガー』('64)、『007はニ度死ぬ』('67)、『シャーロック・ホームズの素敵な冒険』('76)、『アダムスファミリー2』('93)、『英国万歳』('94)など。2003年にはエリザベス女王から爵位を授かり、サー・ケン・アダムとなった。

 1921年2月5日ドイツ・ベルリン出身、2016年3月10日死去、享年95歳。
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 キューブリックは本作品を全くコントロール出来なかったため、ハリウッドからの逃亡を決意させたという、いかにもアメリカ的な「自由万歳&ラブ・ロマンス」映画。

 他のキューブリック作品に慣れてしまっている眼には、「本当にキューブリック?」と疑いたくなるような、おめでたいシーンの連続に辟易してしまう。とにかく、カーク・ダグラスの聖人君子的な演技や、ご都合主義のストーリー展開、出来過ぎた人格の奴隷たちや、お決まりのラブロマンスなど、所詮三文芝居の映像版でしかなく、腹が立つのを通り過ぎてあきれ返ってしまうたけ。

 キューブリックは脚本の改訂を求めて、かなり激しくカーク・ダグラスや脚本のドクトル・トランボとやりあったという。だが、赤狩りでハリウッド追放中のトランボの描く「理想的な平等社会と、それを目指す英雄像」と、キューブリックが指向する「暴力と欲望が人間性の本質であり、生きる力」とでは合い入れる筈もなく、結局若いキューブリックが折れてしまう。この時のシコリが元で、ダグラスは自伝でキューブリックの事を「才能あるクソッタレ」と評する事になるのだが、キューブリックもキューブリックで、「この程度の仕事なら、やっつけの片手間でもやってみせる」と言わんばかりに、仕事をサボってスタッフと野球ばかりしていたという話もある。

 この映画、 2時間半もの長編だが、『ベン・ハー』や、『クレオパトラ』が流行していた当時らしいスペクタクル感覚に溢れ、現在では完全に古びてしまっている。それを割り引いてもたいして良い作品とは思えず、こんな映画がアカデミー賞を受賞してしまうのだから、「さすがアメリカ」と皮肉のひとつも言いたくなってしまう。

 若干30歳のキューブリックにとっては、初の大作カラー作品なので、ここでの経験は後の傑作を産み出すのに、大いに役に立ったと想像できる。もっと重要なのは、この大作を興行的な成功に導いた事によって、ハリウッドからの更なる信頼を得、「有望な新人監督」から、「偉大なフイルムメーカー」としての礎を築き、資金をハリウッドに依存しつつも、自由に映画を創れる環境を手に入れた、ということではないだろうか。
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フルメタル・ジャケット (角川文庫)(amazon)


 作者のハスフォードは、この小説の主人公と同様に、ベトナム戦争に海兵隊の報道記者として従軍している。その体験をフルに活かして書かれた処女作が本作なのだが、とにかく、全編を貫くクールでドライな感覚に、まず驚かされる。登場人物の「個性」や「人格」を全く描写せず、まるで戦争を他人事かのように扱う淡々とした描き方は独特で、戦場のあまりにも醜悪な現実に、人間としての感覚が完全にマヒしてしまっているその姿は、実体験に基づかないと、とても描ききれるものではないだろう。

 除隊する日を心待ちにしながら、目の前にある戦争という狂気の沙汰を、あたりまえの事として受け入れている海兵隊員達…。反戦・平和を標榜するでもなく、戦争や軍隊の不条理さを糾弾するでもなく、ただ、日常的にあっけなく殺し合いをする(たとえそれが味方同士であったとしても、戦略的に大きな意味を持たない作戦でも)という衝撃的な内容は、キューブリックが飛びつくのも頷ける、質の高い作品だ。
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ロリータ (新潮文庫)(amazon)

※大久保 康雄氏の旧訳版


ロリータ (新潮文庫)(amazon)

※若島 正氏による新訳版

 まず、断っておかなければならないのは、この小説が出版された当時(1955年)、「少女愛」という嗜好は全く認知されておらず、更に作者のナボコフや映画化したキューブリックでさえ、それがどういうものなのかはっきりと認識していなかった、という事だ。

 この小説がセンセーショナルな話題を呼び、少女を愛する嗜好の持ち主を「ロリータ・コンプレックス(ロリコン)」と呼ぶようになるのだが、時代を経るにつれて、その意味するところは微妙に変化し、現在では「成人した女性と正常な恋愛関係を持てない者などが、支配欲や性欲の捌け口として、自分に隷属する対象を弱者である幼い少女に求め、それを偏愛する」という傾向に陥ってきている。しかし当時、こんな現実が未来に待ち受けていようなどと、ナボコフもキューブリックも想像だにしていなかったに違いない。

 もちろんロリコンではなかったナボコフは、この小説を執筆するに当たり、自分の趣味である蝶の収集を、少女の偏愛として置き換えることによって物語を創作している。街から街へ、安モーテルに泊まりながら当てもなく愛するロリータと共に車で旅するハンバートは、蝶の採集でアメリカ中を車で旅した作者自身の姿だ。そしてロリータは、その中でもとびきり美しい(もしくは貴重な)蝶であったに違いない。

 それにロリータも決して従順で大人しい、薄幸の美少女などではなく、現在なら渋谷の繁華街でたむろするような、すれっからしの性悪な少女として描かれていて、決してハンバートの意のままになることはない(人間の意向を無視し、気ままに野山を飛び回る蝶のように)。知性も教養も社会的地位もあり、時折フランス語を交えながら文学的に語るハンバートが、他人には理解不能な「ニンフェット」の定義をくどくど説明したり、単なる変態的妄想を雄弁に力説したり、その割には簡単な罠に引っ掛かって地団駄を踏み続ける姿は、なんとも可笑しく、馬鹿馬鹿しく、そして哀れだ。

 そんなロリータをやっとのことで捕まえたハンバートだが、すでに美少女の面影はなく、だらしない妊婦になっていて、 あれだけ忌み嫌った母親のシャーロットにそっくりなのにも気付いてしまう。だがハンバートは失望するどころか、自分はロリータを「一人の女性」として本当に愛していたことに初めて気が付くのだ。この皮肉なまでに遅きに失した愛の自覚…。キューブリックはこの点の脚色が甘かった事を後に自ら認め、「もし撮り直す事ができるなら、ロリータとハンバートのエロティックな関係を強調するだろう」と語っている。

 文学的で高尚な文体で、妄想の激しい馬鹿で哀れな中年男の生涯を綴るという、この『ロリータ』という皮肉に満ちた物語。タイトルだけで嫌悪せず、是非の一読をお薦めしたい。

※注:上記の書評は大久保 康雄氏の旧訳版のものです。
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