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シャイニング 特別版 [DVD](amazon)


 「豪華な高級車だがエンジンはついていない」とか、「頭でっかちで、感受性に乏しい」など、キューブリック版に不満たらたらだったキングが、映画から17年後にTVシリーズとして 自ら製作・脚本を手がけ、リメイクした正真正銘の『シャイニング』。

 さすがに原作者が製作に深く関わっているために、ほぼ原作に忠実に映像化され、さぞかしキングも溜飲を下げたことだろう。また、先行していた映画版を微妙に避けるため、ホラーとして恐怖感を煽るより、悪霊VS家族愛という視点を強調して脚色した点も功を奏している。キング自身認めているが、映画版の「映像による閉塞的な恐怖感」は素晴らしく、それを超えることは容易でない。そのせいか、映画版とは打って変わり、魅力的な登場人物(幽霊も含む)により、ホラーというより、人間味の溢れる、心温まる感動物語として堪能することができる。

 これはこれでありだと思うし、映画版と別物として考えれば、全く違和感なく楽しむことができる。とはいえ、キューブリックファンの性として、どうしても映画版との描写の違いに目が行ってしまう。映画版とTV版で共通する描写として、217号室の女性の霊や、バーテンダーとジャックの絡み、仮面舞踏会などのシークエンスなどが挙げられるが、これはどう見ても映画版に軍配が上がる。それに、キューブリックが拒否した様々な恐怖の描写の映像化(動く生け垣、消火器のホース、スズメバチの巣、ポスターガイスト現象など)に至っては、陳腐以外の何物でもない。

 小説家という職業柄なのか、映像に関しては「自分の頭の中に描いている画」に固執しすぎるのだろう。実は、このTV版『シャイニング』を観ながら思い出していたのは映画版『シャイニング』ではなく、なんと『2010年』だった。丁度『2001年…』と『2010年』の肌合いが、そのままこの映画版とTV版にスライドしたとように思えてならなかったからだ。(映画『2010年』は、原作者自身の手による映画『2001年…』のリメイク、と言えなくもない)自らのビジョンにこだわる小説家と、そのビジョンをことごとく破壊し、再構築して傑作を創り上げてしまうキューブリック。キューブリックが小説家に嫌われる理由も良く分かろうというものだ。

 尚、ラストは原作とも映画版とも異なっている。これは映画版ラストが不満だったキングが、キューブリックに対して「どうせ変えるなら、この位のことはして欲しかった」という返礼のようにも受けとれる。どれが好みかは意見が分かれるだろうが、映画版の後味の悪さが気に入っている人にとっては、このTV版は物足りないかもしれない。だが、原作ファンにとっては少なくとも映画版より納得がいくだろう。
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バリーリンドン [DVD](amazon)


 公開当時の批評によると「退屈だ」、「人間描写に乏しい」など評判が悪く、そのせいか興業成績もよくなかった作品だが、今日見返してみると、キューブリック作品の中では格段に見やすく、ドラマティックで重厚なストーリーになっている。長編の小説をまとめたため、全体にかけ足でエピソードをたどっているのが変えって心地よいテンポを産んでいて、3時間の長さを全く感じさせない。内容も決して難解ではなく、キューブリックもアメリカから渡ってきてた際に直面しただろう、イギリスの階級社会に対する皮肉もかなりあからさまだ。

 キューブリックは本作の前にナポレオンの生涯を映画化しようとしたが、様々な事情により中止に追い込まれている。『ナポレオン』で目指した「絵画のように振り付けられた戦争」や「18世紀の人々の日常を切り取る」という目的は、スケールダウンしながらも、ある程度本作品で達成されたように思う。だが、それだけでなく、美しい衣装や調度品に囲まれながら暮らす醜悪な人間達の物語は、充分キューブリック的で、決して「スモールサイズ・ナポレオン」ではない。同じ歴史大作物として、『スパルタカス』と比較してみると面白いかも知れない。いかに『スパルタカス』が、キューブリックの意に沿わないものであったかが、良く分かる気がするからだ。

 キューブリックは映像に自然な美しさを得るため、NASAが人工衛星用に開発したF値0.7というレンズをミッチェル・カメラにくっつけて、蝋燭の光だけで室内を撮影したのを始め、一切の人工光を排除している(18世紀に人工光は存在しない)。庭園のシーンや池遊びのシーンなどは、まるで絵画を見ているかのような錯覚に陥るほど、緻密に計算され、洗練された映像に圧倒される。現在のDVDと大画面TVの時代はこの作品には追い風となった。是非この圧倒的な映像美を思う存分堪能して頂きたい。

 決闘によって幕を開け、決闘によって幕を閉じるバリーの物語は、結局400ギニーの年金と引き換えに片足を失っただけの、とても空虚なものだった…。キューブリックはこの物語を、所謂「悪党冒険譚」としてバリーを一元的な悪党に描くことはしないで、「身分や階級を問わず、全ての人間は適当に善人で、適当に悪人である」という醒めた視点で、淡々と物語を綴っていくという方法を採用した。それが劇的な興奮をを求める評論家や観客達を失望させる結果となったが、そのアプローチは決して間違っていない思う。時代は違えど、人間のやる事に過去も現在もさしたる違いありはしないのだ。 

 武士の日常を淡々と描写する映画を構想していた黒澤明は、本作品を観て絶賛の手紙をキューブリックに送ったという。刺激的な演出やご都合主義なストーリーを優先するあまり、時代考証をおざなりにする時代劇ばかりまかり通る映画界において、本作は静かに孤高の輝きを放ち続けている。
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 ハイスクール時代からカメラに親しみ、その写真を写真報道誌『ルック』に採用されるほどの実力を持っていたキューブリックは、その後その『ルック』に入社、報道カメラマンとして全米各地や時には海外まで出かけ、やがてドキュメンタリー映画を手掛ける事になる。

 その「ドキュメンタリー作家」としての感性は、映画監督になってからも如何なく発揮され、作品内の何処にも、また誰にも自己投影せず、答えを描ききったり、詳しい説明も避け、明解な意図も、意志も提示しない…といったキューブリック独特の、一種超然とした視点から語られる物語は、「ドキュメンタリー作家」ならではのもの、と言えるのではないだろうか。

 つまりキューブリックは結局のところ、根っからのカメラマンであり、ジャーナリストなのだ。狂った世界を、歪んだテクノロジーを、人間の醜悪さを暴きだすために、自らが創りだした「世界(フィクション)」を、自らのカメラで「報道(ドキュメント)」する。それが例え、一般的な観客を置き去りにしてしまうことになったとしても、劇的な興奮が欠落していても、だ。

 キューブリックが描き出し、切り取った映像に意味や意図を見出すのは、観客である我々の仕事なのだ。ただ漫然とスクリーンを眺めているだけでは、その真意は全く伝わらない。キューブリックと真剣に対峙するつもりのない観客に、キューブリック作品を批評する資格などないのだ。
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 『シャイニング』でダニー少年が口にする謎の言葉。スペルを鏡に映して逆から読むと「MURDER(殺人)」となる。 キングの小説版は序盤からしつこく描写していたが、キューブリックの映画版ではあまり重要視されていない。ジャックが殺人を決行するキーワードでもある。尚、同名のラム酒が存在するが、どうやら確信犯的に名前を拝借したもよう。味はかなり甘めだ。
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博士の異常な愛情(1枚組) [DVD](amazon)


 笑いの感覚というものは、時代とともに刻々と変化するものだ。昔笑えたギャグに今は全く笑えない、なんてことは日常的に実感する。だが、批判精神に溢れ、鋭く真実を付く「ブラックユーモア」はいくら月日が流れようとも普遍性がある。いつの時代でもどの場所でも受け入れられるものなのだ。

 本作品には「ブラックユーモア」な部分と「コメディ」な部分とが共存している。そして残念ながら「コメディ」の部分は今観るとかなり辛い。マフリー大統領とソ連書記長のホットラインでの会話や、コング少佐が機内で飛ばすジョーク、電話をかける小銭がないと焦るマンドレイク大佐や、撃ち抜かれ、コーラを吹き出す自動販売機などは正直全く笑えない。

 だが、タカ派丸出しのタージトソン将軍や、共産主義者の陰謀を真顔で語るリッパー将軍、ナチの亡霊のようなストレンジラブ博士などは、ニヤッと笑った後に背筋が寒くなる。特に全世界が滅亡しようかという事態にまで至っても尚、自国の優位性を説くソ連大使には空恐ろしさを感じずにはいられない。

 こういった、ブラックユーモアのセンスは傑出しているのだが、よほど現場のノリがよかったのか、全体的に悪ノリしすぎてしまっている感は否めない。当のキューブリックも暴走気味で、ラストシーンは「滅びた惑星地球から発見されたドキュメンタリー・フィルムを、宇宙人が発見し上映した」というオチにしようと考えていたらしい。そして、そのラストシーン直前に繰り広げられるはずだった最高作戦室でのパイ投げシーンは、撮影まで行われた。だが、さすがにやりすぎだと思ったのか、最終的にはまるまるカットしている。こういったものまで良しとするセンスが現場に満ちていたのだろう。やはり「ブラックユーモア」と「コメディ」の明解な線引きと、それがこの作品の将来をどう左右するかまでは、検討されていなかったのではないかと思う。

 また、キャスティングの功罪もあったのかも知れない。特に三役(当初の予定ではコング少佐も含めて四役)で出演したピーター・セラーズは「ブラックユーモア」、「コメディ」両方のセンスを持っていて、その両方に影響力を及ぼしている。ブラックな部分はさすがイギリス人らしく鋭いものがあるが、当時彼は優れたコメディアンでもあったため、そちらのセンスは時の流れに勝てなかったようだ。

 ブラックユーモアの傑作として名高い本作だが、初公開から40年もの月日が流れ、残念ながら時の流れに押し流された部分が見られるようになったきた。東西冷戦、キューバ危機など、当時の社会情勢を踏まえて考えても、この「傑作」という評価を、もう一度精査してみる時期に来ているのではないだろうか。
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