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非情の罠 [DVD](amazon)


 前作の『恐怖と…』の好評に手応えを感じ、1955年に続けて製作された自主製作映画第2弾。この映画の製作時、キューブリックはまだ若干26歳という若さだった。

 ストーリーはよくあるサスペンス&メロドラマという感じで、特に見るべきものはないが、映像的にはすごく大人びていて、とても20台半ばの若者が創った映画とは思えない。 構成がいきなりラストシーンから始まり、回想シーンになり、またラストシーンに戻ってくるという、後の『ロリータ』にも用いられている方法なので、「この頃からやってたいんだな」と妙な感心の仕方をしてしまった。また、主人公のデイヴィが見る悪夢のネガ・フィルム(『2001年…』のスターゲートの「原始の惑星」)や、悪漢の手下の手に握られたトランプのズーム・アップ(『博士…』のB-52の暗号封鎖シーン)、マネキン工場での斧を使った格闘シーン(『シャイニング』)など、その後のキューブリック演出の萌芽が見られるのはとても興味深い。だが、ラストシーン前のこの映画一番の見せ場、倉庫での格闘シーンがいまいち盛り上がりに欠けている。プロットが弱く、グロリアの性格付けも明確でなく、脚本も荒いためだろう。

 また、1955年に再婚したバレリーナのルース・ソボトゥカがダンサー役でこの映画に出演している。「自分の嫁さんの踊っている姿を、スクリーンで観たい」いう理由だけで…。この映画に限らず、キューブリックが度々身内を役者やスタッフして使うのは、常に自分の身近にいるので、赤の他人よりコントロールしやすいという理由からなのかも知れない。

 この映画が日本で公開された際、当時の輸入映画の制限枠のため、バレイのシーンなどカットし、短編映画として輸入、上映されたという経緯がある(のちにフル・バージョンでリバイバルされた)。お世辞にもいい作品とは言えないので、コアなファン以外にはお勧め出来ないが、キューブリックにしては珍しくハッピー・エンドだし、かなり商業性も意識した作りのため、そういう意味では貴重な作品と言えるだろう。

 作品全般に漂う青臭さが気恥ずかしいのか、キューブリックはこの映画を振り返って「唯一誇れることは、私のようなアマチュアの環境で長編映画を創り、世界配給を成し遂げたものは、それまで誰もいなかったということだけだ」と語っている。その意味では「原点」とか「萌芽」とか堅苦しい事は考えず、気の合う仲間とワイワイ楽しく映画を撮るキューブリックの姿を想像しつつ、微笑ましく鑑賞するのが正しい姿かもしれない。
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映画監督 スタンリー・キューブリック(amazon)


 今まで、関連書籍内のいちコンテンツとしてのバイオグラフィーはあったが、これだけの情報量の評伝は本書が初になる。キューブリックの生い立ちから『アイズ…』製作中の時期まで、キューブリックの家庭環境や性格、人格形成と成長過程、映画に対する考え方や製作の裏側、有名なエピソードとその顛末、誤解され続けたその素顔まで、圧倒的ボリュームで読みごたえがある。既知の情報も多いが、時系列に体系づけられている本書がまさに決定版と言えるだろう。

 残念なのは『アイズ…』の完成・公開とその後の突然の死までフォローされていない事。(訳者がフォローする形になっている)著者もまさかこんなに早く死が待っているなんて思ってもいなかったのだろう。本書がキューブリックの死後に脱稿されていたら、更に完成度が高まったのではないだろうか。

 寡作な監督と言われたが、本書を読むといかにキューブリックが一生を映画製作に捧げたかがよく判る。そして、こんな監督はもう二度と現れないだろう事も容易に理解できる。それだけキューブリックは唯一、無二の存在だったのだ。

 生々しい等身大のキューブリックの実像が納められた本書は、キューブリックファンにはもちろん、やたら「難解」と煙たがる一般の映画ファンにもお勧めの良著だ。
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2010年 [Blu-ray](amazon)


 クラークが、あまりにもキューブリック的すぎる『2001年…』に少なからず不満を持っていたことは周知の事実だったが、ここまで『2001年…』とかけ離れた作品になるとは思わなかった。この作品は完全にクラークと『カプリコン・1』や『アウトランド』などで知られるピーター・ハイアムズ監督のセンスであって、キューブリックの『2001年…』とは全く別の物語だと考えなければならない。

 原作では、米ソの軍事的緊張関係はあまり強調されていないかわりに、中国の宇宙船が重要な役割を担って登場している。そういった違いはあるものの、大筋では同じストーリだし、作品全体を覆うトーンも、クラークとハイアムズはかなり似通っている。ハイアムズは「キューブリックと同じことをしたら、致命的な失敗を犯すことになる」と考えていたようで、その判断は正しかったと言えるだろう。

 この作品をキューブリックの『2001年…』に関係なく、単なる「SFエンターテイメント映画」として観れば、決して悪い出来ではなく、クラークも満足していたという。ただ、続編を作るに当たって、舞台を木星にしたために(『2001年…』の小説版は土星。クラークは当時ボイジャーが送ってきた木星の衛星イオの画像を見て、どうしてもイオを舞台にしたかったらしい)、キューブリックの続編として受け取られ、宣伝も「映画『2001年…』の謎が解ける」という売り方をした影響から、混乱を招き、視点が定まらない、中途半端な作品になってしまった感は拭えない。

 当のキューブリックもこの作品にかなりご立腹で、「あいつら全部説明してしまいやがった!説明した途端に全ての意味は失われるのに!」と激怒したと、ラファエルの著書『アイズ ワイド オープン』には書かれている。

 キューブリックが危惧したように、クラークが「説明」してしまったかも知れないが、作品全体を覆うトーンが余りにも違うのが幸いし、『2001年…』の価値が損なわれる事はなかった。やはり、器用だが凡庸な監督と、偉大な巨匠とでは格が違い過ぎた、とい事なのだろう。
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ロリータ [DVD](amazon)


 その内容や、「ジョンベネ事件」の影響もあり、ヨーロッパはひっそりと公開、日本でも単館ロードショーという地味な形で公開されたため、さして話題にならなかったという不幸な経緯はあるものの、確固たるビジョンがなかったのか、それとも圧力団体の干渉に屈したのか、中途半端で印象の薄い愚作と言わざるを得ない。

 とにかく、このことごとくハズしたキャラ造形は全く理解できない。ロリータは単なるヤンチャな小娘だわ、ハンバートは知性も教養も感じられない単なる哀れな中年男だわ、キルティに至っては正体不明のデブときている。これでは原作やキューブリック版に見られる皮肉やユーモアの感覚が生きてこない。ましてやハンバートの少女趣味に同情的な解釈をするなんて、全く理解に苦しむ。台詞やシチュエーションは原作を丁寧になぞっているが、キャラクターにリアリティがないためハンバートがロリータに入れ込む動機、ロリータがキルティの許へと去る動機、ハンバートがキルティを殺す動機、全てに説得力を欠いている。

 構成は、細かい違いはあるもののキューブリック版とほとんど同じで、ハンバートの回想を通してストーリーは進んでいく。違いは、ハンバートの妄想や性表現が、時代を経てかなり突っ込んだ表現になっていたり、映像のセンスがいかにも「90年代」的であったりする程度だが、それがこの作品に重要なファクターになりえているとは思えないし、ユーモアのセンスも、お世辞にも上手いとは言いがたい。

 だが、構成は似通っていても、作品へのアプローチの仕方はキューブリックとラインでは180度異なっている。それはラスト、だらしない妊婦となったロリータに、かつての美少女の頃のロリータがオーバーラップするシーンに象徴されている。これではハンバートの少女趣味を理解し、肯定したことになってしまう。(大半の観客がそう受け取るだろう)つまり、この作品は「少年時代の悲劇的な失恋から立ち直れない、純粋で無垢な中年男の悲恋物語」であって、「男の身勝手な独占欲で歪められ、美化された少女像を打ち砕く辛辣な寓話」ではない、ということだ。『ロリータ』は原作もキューブリック版も中年男の悲恋物語などでは決して無い。それだけは明言しておきたい。

 ほとんど同じストーリーラインをなぞりながら、全く異なる視点で描かれたふたつの『ロリータ』。当然リメイク版を観たであろうキューブリックは、この作品を一体どう思ったことだろうか。
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夢奇譚 (文春文庫)(amazon)


 初めてこの小説を読んだとき、あまりも映画のストーリーそのままなのにまず驚かされた。キューブリックはなんと、ストーリーラインを変えることなくほとんどそのままを映画に取り込んだのだ。だからと言って映画は、この小説の舞台と設定を、単に19世紀末のウィーンから、20世紀末のニューヨークに移し替えただけの代物、と言い切ってよいのだろうか?

 小説は、表面的な幸福の中に潜むどす黒い欲望と裏切りが、夢や現実の形となって現われる不可思議な妄想の世界を描いたものだ。主に夫婦間や男女間の問題を扱っており(現に脚本を担当したフレデリック・ラファエルは、映画版のタイトルを『女性の問題(The Female Subject)』にしよう、とキューブリックに持ちかけている)、未婚者や若年層にはピンとこない物語かもしれない。また、不倫願望や不逞、スワッピングや乱交など、この時代ならともかく現代人には全くショックを感じない。

 ところが映画はそういう表面的なモチーフは継承しつつもっと解釈を広げ、現代人にとって最も妄想を描きやすい「映画」という媒体を中心に、ありとあらゆるメディアを使って壮大な「夢の世界」を現出させよう、という大胆なものだった。その夢の世界へ、年齢、性別を問わず、あらゆる世代を呼び込みために、謎の物語を用意したり、セクシャルなトレイラーを流し続けたり、意味深なポスターで見るものを誘おうとしたのだ。

 ただ、メディアに踊らされるままに映画館に「2時間の夢物語」を堪能しに出向いた観客に、小説とも、当初の脚本とも違うラストシーンを用意したキューブリック。そこには激しい憤りと深い失意。そして決別の意志が込められている。
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