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※映画のロリータはロリータでもニンフェットでもないと評判が悪いが、奇跡的に数枚だけ素晴らしいスチールを残している。これもその内の1枚。

 少妖精の意。転じて、10代前半の美少女を差す。小説『ロリータ』で、ハンバートはロリータを始めとして彼の感性に添う美少女をこう呼んでいるが、年齢制限を9〜14歳までとし、しかもそのニンフェットの呪縛を受けるには30〜40歳の年齢差が必要とまでしている。ニンフェットの定義も非常にシビアで、「一般人が女学生の中から美少女を選んだとしても、その中にニンフェットは含まれていない」とまで言い切っている・・・というか、もう「しなやかな骨組み」とか「かん高い耳障りな声」とか「逆立つうぶ毛」とか「汗でべたつく首」とか「ふくらはぎの傷あと」とか「脇腹のほくろ」とか「足首でぴくぴく動く骨」とか、常に妄想炸裂。特にロリータを妄想の中で独占し、コトを成就させる(実際のロリータはただ普通にじゃれてるだけ)くだりに至っては変態以外の何ものでもありません。でも笑えます。
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失われた宇宙の旅2001 (ハヤカワ文庫SF)(amazon)


 1972年に出版された、クラーク自身の筆による『2001年…』のアウトテイク集。これも早くから邦訳が望まれていたが、なんと38年も経ってからの出版となった。内容は、クラーク節全開のエンターテーメントSF然とした『2001年…』が満載で、もしこのままキューブリックが映像化したら、陳腐になること請け合いといった内容だ。クラークを「SFロマンの虜」として批判したキューブリックの気持ちが良くわかるような気もするが、小説版『2001年…』の、クラークらしからぬ筆致に少なからず違和感を覚えていたのも事実。クラークの本音は明らかにこちら側だ。

【クラークとキューブリックの共同作業の流れ】

1964年4月、クラークとキューブリックはニューヨークのレストラン、トレイダー・ヴィックスで初めて顔をあわせる。

1964年5月、原案として『前哨』を使うことに合意。製作期間を約2年と見積もる。(実際は4年)

1964年12月、スターゲート到着までの全体のおおまかな筋書きが完成する。

1965年2月、MGMにより、仮題『星々の彼方への旅(Journey Beyond the Stars)』のとして製作を発表する。

1965年春、一度は決定稿と思われていたセクションを次から次へと没にして、再度物語を練り直す。

1965年4月、タイトルをキューブリックが考えた、『2001年宇宙の旅』に決定する。

1965年5月、宇宙人をどう描けば良いのか悩むキューブリックは、クラークの『幼年期の終わり』の悪魔イメージを取り込みたい、と言い出す。

1965年8月、ロンドンのMGM撮影所でセットの立込みが始まり、クラークはそのアドバイスのためにロンドンに向かう。

1965年10月、物語の終わらせ方として、「ボーマンが子供に逆行し、赤ん坊となって地球軌道上に浮かぶ」という案を出し、キューブリックはそれに賛成する。また、キューブリックの判断で、ボーマン以外のディスカバリーのクルーは、皆殺しと決定する。

1965年11月、オリオン号のコクピットのセットを見学した時、思わず「中華レストランに似ている」と口走ってしまい、それを聞いたキューブリックはセットの改装をスタッフに命じる。

1965年12月、月のモノリス発掘現場から撮影が開始される。

1966年1月、「スター・ゲートのありかは土星の衛星ヤペタス以外に考えられない」という考えを、キューブリックに伝える。

1966年4月、小説が完成し、キューブリックに出版の許可を求めるが、「まだ出せる段階ではない」と拒否される。

1966年5月、俳優を使ったシーンの撮影が終了する。以降、特殊撮影の開発、編集、サウンドトラック等の作業が公開ギリギリまで続くとになる。

1966年7月、キューブリックは出版への許可のサインを拒み、クラークは窮地に追い込まれる。

1968年4月、『2001年宇宙の旅』が一般公開される。

1968年夏、ニュー・アメリカン・ライブラリー社から、小説版『2001年宇宙の旅』が出版される。
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ソウル・バス
Saul Bass (IMDb)


 世界的に有名なグラフィック・デザイナー。映画界ではタイトルデザイナーとして有名で、手掛けた作品は『カルメン』('54)、『七年目の浮気』('55)、『80日間世界一周』('56)、『暴力波止場』('57)、『めまい』('58)、『北北西に進路を取れ』('59)、『栄光への脱出』('60)、『ウエスト・サイド物語』('61)、『グラン・プリ』('66)と、どれも名作ばかり。『スパルタカス』ではタイトルデザインとデザイン監修も担当。理解者の少なかった現場でキューブリックが頼れた唯一の存在で、バスの描くコンテにずいぶん助けられたようだ。その縁で『シャイニング』ではポスターのデザインを担当している。

 生涯で唯一『フェイズ IV/戦慄!昆虫パニック』('73)で監督もしているが、12チャンのお昼に放映するのにピッタリなB級パニック映画で、なんでこんなもの撮ってしまったのか理解に苦しむ出来。まあ、その後監督としての声は掛からなかったのもしょうがないでしょう。1920年5月8日アメリカ・ニューヨーク出身、1996年4月25日死去、享年75歳。
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Nicole Kidman (IMDb)
ニコール・キッドマン(MOVIE-FAN)

 『アイズ…』で、主人公ビル(トム・クルーズ)の妻、アリス・ハーフォードを演じた。14歳で映画デビュー後、後に夫となるトム・クルーズと『デイズ・オブ・サンダー』(1990)で共演。その後『誘う女』(1995)、『バットマン・フォーエバー』(1995)、『ピースメーカー』(1997)、『ムーラン・ルージュ』(2001)、『めぐりあう時間たち』(2002)、『奥さまは魔女』(2005)などに出演。大量にテイクを撮るので俳優に嫌われていたキューブリックに「もう一度」とリテイクを要求したため、「もう一度、なんて言った俳優は君がはじめてだよ」と言わしめた珍しい人。クルーズとは90年結婚、01年離婚。一部では『アイズ…』が原因では?と囁かれたが、真偽は不明。

 1967年6月20日アメリカ・ハワイ生まれのオーストラリア人。
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Keir+Dullea+40th+Anniversary+Screening+2001+yK7fnupLMZ-l
Keir Dullea(IMDb)

ケア・デュリア(MOVIE-FAN)

 『2001年…』のボーマン船長役。それ以外では『リサの瞳の中で』(1962)が有名らしいけど、 印象深いのはやっぱり 『2010年』(1984)のボーマン役。しょうがないけど。

 1936年5月30日アメリカ・オハイオ州生まれ。
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